紙コップに思う

img_2160ショッピングモール内のカフェで出された、紙コップ。

 

ふらっと入ったカフェでコーヒーの入っていた紙コップが、とてもカッコよかった。そして、とてもがっちりしていた。

なんというか、ちょっと持って帰りたい感じだったのでした。題名から見て、紙コップは資源の無駄だから云々の話かと期待した方が居たら申し訳ない。

おいしいコーヒーでも、安い紙コップで出されて、最後コップの底の接着剤が熱で剥がれかけているのを見たりすると、かなりげんなりしたりします。アウトドアは比較的好きなほうだと思っていますが、なんか、ビールや飲み物を紙コップ、紙皿で食べるのほんと辛い。いや、出されたら勿論何も言わずに食べますよ。でも、あれなんか切なくなりませんか?

 

別にグラスはバカラ、とか言いたいんではなく、あの紙のふにゃふにゃ感が、なんかとても辛い。プラスチックでもアルミでもなんでもいいんですが、なんか持ってて頼りないもの以外に入れてくれ、という気持ちです。

 

なぜ私はこんなにふにゃふにゃした入れ物を忌み嫌うのか。

 

それは、小学校5年の秋だったように思います。

私は友達と、ブームだった(行列に並んだ子供が将棋倒しになって死者まで出た)ガンダムプラモ、略してガンプラを買うために、自転車で隣町のおもちゃ屋に遠征に出掛けたのでした。

当時私が暮らしていたドの付く田舎町では、ガンプラの入庫自体がニュースで、「今週末に3個、量産ザクが入荷するらしい」という噂を聞きつけた小学生にとって、隣町までの山道10km強の自転車移動は、越えねばならぬちょっとした試練でありました。

果たして、友達と息を切らし、その先に辿り着いたおもちゃ屋には、量産ザクはあったものの、商魂たくましい店のおばちゃんにとって、普段見ない顔の小学生に売る理由もなく、「あー、それもう買う人決まっているから」との一言で売ってもらえず、それでも諦めきれず店の前でうろうろ。挙句、常連の中学生に睨まれてすごすご退散するのでした。

 

そして私たちは、悲しい気持ちを振り払うべく、友達と近くにあったカップラーメンの自動販売機に目を止めます。山道の移動でおなかがすいたのもあり、えい、とガンプラを買うつもりで持ってきた小銭を入れて、カップに出てくるお湯を注いだ、その後のことでした。

 

熱湯を注がれたカップラーメンの紙製カップは、思いのほか柔らかくなっており、持ち上げたその手をぐにゃりと抜けて、そのままコンクリートに落下したのでした。

 

コンクリートの縁石に広がる即席ヌードル、湯気をあげるその絵を、私は一生忘れないように思います。

 

私は、その瞬間、声を出さず泣いていました。

一緒に来た友達が、驚いて私を見ていました。普段悪ふざけして、馬鹿だのなんだの言いあっていた悪友が、「だ、大丈夫?」と真剣に聞いてきたのを憶えています。それほど私の顔は悲しく歪んでいたのだと、それがまた恥ずかしく、情けなく、止めるべき涙がさらに溢れてきました。

 

友達が気遣って、なけなしの小遣いを差し出し、もう一回買おう、と言ってくれました。私は、それを断ると、滂沱の涙を止めることなく、「いいよ、まだあるから。」と、ガンプラを買うはずだった小遣いの残りを使って、もう一度自販機にお金を投入。「さっすがー、やるなあ、それでこそだぜ。」と少ないボキャブラリーで勇気づけようとする友達の優しさが却って私の傷に沁みるのでした。

 

そのカップラーメンがどんな味だったか、まったく思い出せません。

 

恐らく、それ以来私は、ふにゃふにゃした入れ物、特に熱い飲み物を入れるものを忌み嫌うこととなったのです。紙であってもいい、それが悪いとは言わない。ただ、しっかりしてほしい。もう二度と、私のような思いをする人が、暖かいものをこぼして涙にくれる人が、この世の中に増えてほしくない。

 

この前見た紙コップは、そんな私の過去の記憶をそっと呼び覚ますのでした。

そしてブドリは、たくさんのブドリの子供たちが笑うのを、いつまでも空からずっと見ているのでした。

 

途中からなんか変なのが来た。

 

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