高橋留美子がフランスで褒められた

もう少し正確に言えば、アングレーム国際漫画祭で表彰されたらしいです。

その評価理由が以下の通りなんですが、

「出るくいは打たれる(日本)社会で、アウトサイダーや変人を前面に押し出し、彼らにもチャンスがあることを示そうとこだわった

で、ネットの評判だと、本人そんなつもりでやってないだろう、とか、うがった見方も多いんですが、実は私は凄く納得してしまったんですね。ああ、この審査員、本当にしっかり読んでるなあ、という。

高橋留美子作品から常に感じられる揺らがない一本の線、ってのがあるんですが、それはコメディでも、ホラーでも、SFでも、ドラマでも、なんというか、登場人物がみんな強い個性やキャラクターを持っているのと同時に、その裏返しとしてのコンプレックスや生きづらさを抱えている。まあ、そんな作品はいっぱい世の中にあるような気がするんですが、高橋作品に特徴的だなと思うのは、それをそのまま見せるのではなく、そのキャラクターが基本的にそれを是としている。あるいは、跳ね除けて生きている。

例えばうる星やつらの主人公である諸星あたるは、とにかく巡り合わせが悪いというか、やたらトラブルに巻き込まれる。面堂終太郎は(元々は面倒を終わらせる、つまりトラブルシューターとして登場させたらしいですが)巨大財閥出身で相当のルックスを持ちながら、閉所恐怖症やらおそらくややこしい家族関係の中で唯一常識人として生きる苦労を背負っている。めぞん一刻の五代は好きな人と結ばれるチャンスを悉く周囲や状況に潰される。管理人さんなんか、おそらく優秀だったであろうに、親の反対押し切って若くして勢いで結婚したはいいが、その相手が速攻死んで、ボロアパートの管理人として生活している。らんまなんて文字通りのトランスジェンダーで、少なくとも日本社会でアイデンティティの決定的な要素である性別が揺らいでいるわけですよ。犬夜叉とかそのあたりは私読んでないので、あまり網羅的に説明できませんが、基本的にそういう訳ありのキャラが中心を占めているように思います。

みんな、いわゆるヒーローやヒロインになれない、なりきれない。クラスの中で言えば、中心には居られない。誰からも愛されるわけではない。

でも、そうしたキャラクター達が、その問題について悶々とし、そこで延々と堂々巡りを続けるかと言えば、そうではなく、それを是として生きて行く。例えば諸星あたるがトラブルに巻き込まれる理由は、彼の持つ無類の女好き(これは実はある種の博愛主義だともおもいます)という属性によるものが大きいわけですが、彼自身はそれを自分の一部として捉えていて、それを完全に受け入れている。

で、そうしたキャラクター達が、生き生きとストーリーの中で動き続ける。

自らのコンプレックスや不遇について、悩むこともないではないけれど、基本それを受け入れて生きている。

それを読んでいると、例えば中学ぐらいの時期に、社会にふれて、家庭という狭い世界の中で生まれた誤解に基づく全能感を失い、天才でも超人でもない素の自分を突きつけられた多くの私のような人間に、高橋留美子は、大丈夫、居場所なんて自分で作ればいいんだよと言ってくれたような、そんな気がします。

それは、勝手に想像すると、多分彼女自身がそうだったから、そうしないと生きられない人だったんだからなんだろうと思うのです。

もうすこし違う視点で整理すると、オタクはここから市民権を得た、という話にもなるのですが、それはまた別の機会で。

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